劇人形作家インタビュー Akira KATAOKA

片岡 昌 の巻・上

― 「ひょっこりひょうたん島」への道 ―

※この文章は、『Puppet House通信』No.2(96.7.20発行)に掲載されたものです。

“ひょっこりひょうたん島”と言えば、おそらく30歳以上の日本人なら誰でもしっているテレビ人形劇不朽の名作。そしてもちろん、今回ご登場いただく片岡 昌(かたおか あきら)氏こそが、“博士”“トラヒゲ”“ドンガバチョ”……、あの懐かしい人形たちの産みの親である。人形劇団ひとみ座の舞台・人形美術家として数千体の人形を世に送り出し、日本を代表する劇人形作家の一人として活躍を続けられる片岡氏を、ひとみ座の工房にお訪ねした。

 

アジプロ人形劇との出会い

━━片岡さんにお会いしたら、ひょうたん島の人形たちの誕生の裏話もお聞きしよう、変幻自在な片岡美術の創作の秘密も知りたい、劇人形の表情についてのお話も伺いたい……、お尋ねしたいことは山ほどあるんです。しかし、まずは搦手から攻めるということで、片岡さんご自身が人形劇と出会われた経緯からお話しいただけないでしょうか。

片岡◆ええと、人形劇との触れ合いのいちばんはじまりはですね、高校になったばっかりかな、1年下に後に藤沢市長になった葉山峻(ハヤマ シュン)っていう友達がいたんですけど、彼が学校に人形を持ってきましてね、「片岡さん、人形劇やろうと思ってたんだけど、ひとり足りなくなっちゃったんだよ。やってくれねぇーか」って言うんですよ。突然、ヤレったって、「そんなのムリだろう!?」って言ったらねぇ、それが、コレちょっと今だと言いにくいんだけど、「オレがおかみさん役で、おまえはドモリの旦那の役だから、ウ~、ウ~と唸ってるうちにオレがうまいことやってやるから」って (笑)。

戦後の、政治的にもう混乱してる時代でしょう。ドモリの旦那が帰ってくると、しっかりもんのおかみさんがいて、「オイ、給料もらってきたか!?」「ウ~、ウ~、ソッ、それが~」「また、出なかったのかい!?」「ソッ、ソッ、そうなんだ!」「おまえさん、コレじゃどうしようもないだろ。なんとかしなくちゃ、ダメじゃないか!」って。ようするに、組合をつくりなさい、「おまえさん喋れなくても、歌はうたえるだろ!」っていうような、アジプロの芝居なんですね。

━━何年頃の話ですか?

片岡◆昭和23年ですかね。僕は昭和7年(1932年)の生まれだから、旧制中学で入ってそのまま高校に上がって……。1年下の葉山峻はまだ中学生だったかもしれないですね。

━━その芝居を学校で上演された?

片岡◆いやね、「どこでやるんだ?」って聞いたら、労働組合に乗り込んで行ってやるって言うんですよ。「エッ~!?」って驚いたんだけど、「まぁ、いいか、やるかぁ!」って。そのへんが凄いんですね(笑)。結局、組合の大会かなんかに行ってね、やったんですよ。そうしたら、ワァンワァと受けてね。それが人形劇とのはじめての出会いですね。

ひとみ座なら食べられる!?

━━時代が時代なんでしょうけど、ちなみに高校はどちらなんですか?

片岡◆神奈川の県立湘南高校です。当時は鎌倉にいましてね、鎌倉アカデミアというのがあって、そこの学生だった後藤泰隆に前田武彦、いずみたくとか、いまから考えるとそうそうたるメンバーが“こぐま座”って影絵の劇団をつくったんですね。私の家のすぐ隣の小さな公会堂みたいのを根城にしてたんで、「片岡さんいっしょにやらない?」なんて話もあったんだけど……。

それと、もうひとつグループがありまして、ひとみ座の宇野小四郎といまはフリーですけど清水浩二の二人が中心になって劇団をつくったんです。これがひとみ座の前身で彼らは人間の生の芝居をやってた。ところが、生の芝居をやっても食えないんですね。その頃はみんな偉くて、20歳とか10代後半ぐらいの連中が劇団つくって、もう最初からプロなんですよ。売り込みに行くわけです。

━━芝居で食べるという前提でやるわけですね。

片岡◆でも、そんなものどう考えたってうまく行くわけない(笑)。どうしようかと思案したあげくに、子どもならいっぱいいるから、人形劇をやろうと思いつくんですね。で、その清水浩二って人が人形をつくったりなんかして、やってた。それがね、誘われて観たらわりと面白かったんですよ。こぐま座のほうはすごく童心主義みたいなところがあったんだけど、宇野さんたちのほうは、もともと芝居をやろうという連中だから、子ども向けの劇でもドラマをつくろうとしてる。それで面白いなぁと思ってねぇ……。

でも、すぐには入らなかったんですよ。そのうちに私も高校辞めちゃいましてね。ウチは食えなくなりますしね、それでも呑気にしてたんだけど、まあ、とにかく食えない。で、宇野さんに「人形劇やってて食えるの?」って聞いたら、「食えますよ、立派に食えますよ」って言うから、「じゃあ、入ります」って入ったんだけど……。常識で考えてる食えてるのと全然違うんですよ。

━━いくら戦後の混乱期でも、ちょっと貧しいかなという……。

片岡◆コッペパン一個で一日とかね。それから、やっとカネが入ってコメの配給をひと月分取ったはいいけど、おかずはなんにもなしとかね。僕がひとみ座に入ったのが1950年だから、いくらなんでもねぇ。それは、ひどいもんですよ(笑)。

 

最初につくった人形が“赤ずきん”

━━50年だと片岡さんは18歳ですよね。美術的な素養はどこで?

片岡◆高校時代に美術部にいたんですよ。戦後間もなくでしょう、いまじゃちょっと考えられないですけど、私なんか、朝学校行ってデッサンやりはじめて、授業出ないでそのままデッサンを続けて、夕方までデッサンやって帰ってくるという(笑)。卒業生が芸大を受けるのに高校まで来て勉強してたりね。そんなのといっしょになって芸術論を戦わせたりしてましたから、美術部のレベルは割合高かったんですね。

━━じゃあ、ひとみ座ではすぐに人形づくりを?

片岡◆入った途端ですよ、「こんど、赤ずきんやるから人形つくれ!」って。マイッタですね。赤ずきんって、やっぱりかわいくないとダメでしょう。愛嬌のあるかわいさがないとね、主人公にならないじゃない。ところが、いくら絵を描いても、ちっともかわいくならないんですよ。それまでかわいいとかなんとかってこと考えたことないんですね。デッサンだったら、そのものをいかに描くかでしょう。かわいく描こうなんて思ったことがないわけ。で、「かわいい」というのは何だろう、と。おもちゃ屋とか人形屋を歩きましてね、「キューピー人形というのはなぜかわいいんだろう?」とかって観察したわけですよ。

━━片岡さんがキューピー人形からかわいさを学んだとは知りませんでした。

片岡◆ハッハッハッ。でね、そんなときに、高校に講師で来てた芸大の西田正秋という解剖学の先生の話を思い出したんですね。動物というのは、顔が発達してくるのに目から下が発達してくるんで、目から上はたいした変わりはない。子どもの顔がなぜかわいいかというと、咀嚼器官、食べる器官ですね、その咀嚼器官の量的弱小なんだ、と。ようは小さいから、それが可愛いんだ、と。それから、子ども、とくに赤ん坊の口というのは、咀嚼する必要がない。吸引が目的なんだ、と。

━━オッパイを吸うわけですね。

片岡◆ええ。だから、唇は広くなる必要はないんだ。小さくて吸引するんだから、吸いやすいようにくちびるはキュッと突き出てちょっと開きぎみになる。それがかわいいんだ、と。だから、ある大人を見て、その人が子どものときにどうだったかを想像するときは、目から下を少しずつ小さくしていけばいいんだ、と。あごを細くして、口を小さくして、ちょっと突き出せばいい。動物でもそうなんだ。馬を見て、馬の赤ちゃんを描けと言われても分からないだろう。馬だって同じなんだ。咀嚼器官を小さくしていけば、馬の赤ちゃんになるんだ、と。それをありようハズもないほど小さくしたのが漫画なんだ。そんな話を思い出しましてね、コレだな! と(笑)。で、キューピーとその理屈を重ね合わせて赤ずきんをつくったんです。それが僕のいちばん最初の人形。

━━つぎはオオカミ?

片岡◆そう、オオカミはね、どうしても口を開けたかったんですよ。もう、最初からカラクリをやりたかった。で、どうやったらいいだろう? カラクリやるには、やっぱり木じゃなきゃマズイ。裏に下駄屋があったんで、材料の桐の木を何枚か貰ってきて、2枚張り合わせたのを上顎に使って、下顎を彫ってつくって、それで紐を引くと口が開く。それがね、僕の木彫り人形のはじめなんです。

━━赤ずきんの素材はなんですか?

片岡◆紙ねんどでしたね。ヘチマでつくった芯に紙ねんどを塗るんだけど、それが大変だったの。いくらやっても新聞がすり減らなくて。当時はね、紙ねんどといったって、自分でつくったわけね。新聞紙を小さく千切って、何日か水に浸して、搾って、すり鉢に入れる。で、すりこぎ(棒)でいっしょうけんめいすり潰す。やればやるほど細かくなるんだけど、くたびれちゃうから、いい加減なところで糊を混ぜるじゃない。そうすると表面がデコボコになっちゃう(笑)。

 

人形づくりの3人の先生

━━片岡さんが劇人形をつくりはじめられた頃に、たとえばこの人を目標にしようとか、この人の人形はいいなとか、真似するというか、参考にするような人形はすでにあったんですか?

片岡◆それはなかったんですよ。ひとみ座に入ってから他の劇団の人形をいろいろ見たりしたんですけどね。ただ、僕は川尻さん(川尻泰司。人形劇団プークを主宰し、日本の人形劇界を代表する人物だった。94年没。)の人形には感心しましたね。さっきも言いましたけど、自分はデッサンやなんかから入ってるから、わりとリアルな考えを持ってた人なんですよ。だから、人形劇の人形とかなんとかってすごく戸惑ってるわけです。いままで学んできたデッサンの技術なんかをどういうふうに人形に生かしていいのか分からないというかね。それが、川尻さんの人形を見たら、すごく納得するリアルな面を持ってる。「ああ、いいんだ!」って。

━━みんながみんな可愛らしい人形をつくらなくてもいいんだ、と!?

片岡◆そうそう。だから、僕は人形づくりをちゃんと習った先生というのはとくにいないんですけれども、心のなかでは3人の先生がいると思ってるんですよ。ひとりは、高校のときの絵の先生。この先生は生徒がデッサンしてれば喜んでるんだけど、アブラ(油絵)描いて持ってったりするといい顔しないの。絵というのはその人のものの考え方やなんかが変わればどんどん変わるものだけど、デッサンなら、たとえ抽象画に行こうと、何になろうと、ぜったいプラスになるからという考え方の人だったわけね。だから、デッサンさえやってれば機嫌が良かった。その先生が一人目の先生。

◆二人目は、昔から知ってた鎌倉彫りの先生。彫刻をやってた人でね、刀の研ぎ方とかは直接習いましたけど、それよりもむしろ彫刻的な考え方みたいなことね、固まりだとか、量感だとか、動きだとか、そういうことを感覚的にというか情熱的にというか喋ってくれて、それがそうとう勉強になりましたね。いまでも、なにかつくると、「あの人がなんか言ってたな」なんて思い出したりするようなことがある。それが彫刻的な面の先生。で、3番目が川尻泰司さん。「リアルなものの考え方で人形劇の人形をつくってもいいんだな」と思わせてくれた。

━━片岡さんの先生として、川尻泰司氏の名前が上がるというのは、ちょっと意外な気がしますけど……。

片岡◆それはね、川尻さんが生きてるときにもっと話したかったの。まさかね、こんなに早く亡くなるとは思ってもみなかったから……。いっぺんだけ言ったことがあるんですよ。川尻さんがひとみ座の公演を見に来てくれて、「アキちゃんの人形いいねぇ。どうやって勉強したんだ!?」って言うから、「なに言ってるんですか、川尻さんは僕の師匠じゃないですか!」って言ったの。そうしたら、ウォ~って喜んで抱きついてくれて。ちょっとビックリしましたけど、僕は、川尻さんの人形を見てねぇ……。やっぱり、川尻さんの人形は美術的にもしっかりしてますしね。

 

ひょうたん島は人形劇の産業革命!?

━━最初に赤ずきんの人形をつくられてから46年ですか、その間に片岡さんが手掛けられた劇人形というのは膨大な数ですよね。ご自身で数えられてたりするんですか?

片岡◆いやぁ、数えてないんですよ。どのくらいあるのか、ちょっと見当つかないですよね。赤ずきんの翌年はたしか4本仕込んだのかな……。

━━かりに、1年に4本の芝居の人形美術を手掛けたとして、1本の芝居に10の人形が出てきて年間40体。46年で1840体ですか……。

片岡◆テレビの仕事も多かったから、その人形まで入れたらそんな数じゃ効かないんじゃないですかね。

━━数千体の人形をデザインするというのは、やはり並大抵なことではないですよね。片岡さんは、個々のキャラクターをいったいどうやって形にしていくのか、こんどはそのあたりのことをお尋ねしたいんですが……。

片岡◆それがですね、僕の場合あまり意識してないんですね。本(脚本)をパラパラッと見て、で、「アッ、こんな話ね」というぐらいにしかつかめてないんですよ(笑)。それで、「この話なら、こんなスタイルね」っていうような感じがチラチラッと頭に浮かぶわけです。

━━考えるより先にフォルムが頭に浮かんでしまう?

片岡◆ええ。それで演出とかとこんな調子じゃないかなという話をして。ところが、演出家や作家には、ほんとのところは分からないんですね。僕が美術的なイメージでこんな調子だなと言って、相手は「うん、そうだ、そうだ」と言っても、ほんとは分かってないんですね(笑)。で、まあ、ペラペラッとスケッチをして、あとはもうつくりはじめちゃうというような感じなんです。

━━「パラパラ」に「チラチラ」に「ペラペラ」ですか、なにかこう煙に巻かれたような……。やはり具体的な例でお話しいただいたほうが分かりやすいかもしれませんね。

片岡◆あのね、いちばん考えたのは、NHKの『ひょっこりひょうたん島』の人形。ひょうたん島の前は『チロリン村』というのをやってたでしょう。チロリン村の人形は、土俗的というか、タマネギやトウモロコシに目鼻を付けたような、いわゆる擬人化された人形だったんですね。で、人形の下から手を入れて使うから、衣装は布でもってそのまま裾が広がってて、あまり動きもよくなくて、かしらと右手だけで芝居するような感じね。おまけに、夏になると七夕のテーマになったりで、歳時記のようなお話なんですよ。それに対して新しい人形劇をつくりたいという人たちがテレビ局のなかにいて、当時の言葉で言えば、「もっとモダンな人形劇をやりたい」ということだったわけです。

それで、誰に人形デザインを頼むかというのでいろいろ物色したらしいんですね。で、僕のところにお鉢が回ってきて、そのモダンな感じでやってほしいという意向を伝えられた。だから、とにかく前よりモダンじゃないといけないわけですよ(笑)。

━━それが大前提なんですね。

片岡◆そう、それがひとつ。それから、チロリン村のときは放送は週1回だったのかな。それをひょうたん島は毎日、週に5日もやるっていうんですよ。これは大変そうだな、登場人物だって多そうだ。テレビのことだから、どうせ急ぐんだろう。いざ私が引き受けるとしたら、短期間に膨大な数の人形をどうやってつくるのか。これもひとつ考えないといけない。

それで、考えついたのが回転体なんですね。ろくろを回してつくれる形。外に発注してもつくれるような人形はないかと考えたんですよ。デッサンして、図を書いて、ここは凹んでる、鼻はこうなってるとかって、よそへ持ってって説明して、この通りつくってくださいと言ったって、出来るところなんてないでしょう。ぜったい出来ない。だけど、グラフ用紙にセンターラインを引いて、実寸大の顔の輪郭だけ描いて木地屋(木のお盆やお碗などをつくる商売)とか木型屋に出せば、ろくろで同じものを正確につくって持ってきてくれるだろう、と。そう思ったわけです。だから、どこかに軸を持った回転体で人形をぜんぶデザインしよう。頭もからだも徹底してね。そうすれば、モダンな人形という要請と短期間にたくさんの人形をつくるという二つの線がつながるんではないか。モダンなフォルムを回転体で出せるんではないか、と。

━━そうなるとラインが勝負ですね。

片岡◆そう、ラインだけでいかに個性を出せるか。サンデー先生、博士、ガバチョ、ダンディ、トラヒゲ……、どの人形かシルエットだけでも分かるようにしようと思ったわけです。でね、そのフォルムにまた別口でつくった目とか鼻とか耳をつける。目や鼻はいわば部品ですよね、考え方としては。回転体のフォルムがあくまでも最初にある。

━━いまのお話を伺っていると、なにか人形劇の産業革命みたいなイメージですね。たしかにモダンだ。

片岡◆ハハハハッ。それで、なんとか大量生産をすることができたというね。デザインを決めるうえで制約がいっぱいあったという意味では、ひょうたん島の人形がいちばん難しかったですね。

 

“博士”はなぜ長靴を履いているのか?

━━回転体のフォルムで個性を出すというあたりをもう少しお聞きしたいんですが、誰かひょうたん島のキャラクターを例にお話しいただけませんか。

片岡 たとえば、“博士”だったらね、どういうふうに考えたかというと、まあ、当時そんなにちゃんと考えたかどうかは疑問ですが、いちおう喋りますと……。まず、博士だから頭でっかちになるだろう、と。で、子どものときから寝ながら本を読んでたから目が悪いだろう。当然、メガネをかけてるんだけど、メガネは肉体化してるから、メガネの上に目の玉をつけて、そのめん玉が動くようにしよう、と。

━━メガネの肉体化っていう発想は面白いですね。

片岡◆でしょう。からだは痩せてていいだろう、あんまり力もなさそうだ。でね、博士はいつでも長靴を履いてるんですよ。ようするに長靴履いてれば雨が降ったって平気ではないか、と。晴れてるときだって、べつに長靴で悪いことはないだろう。

━━なにか近代合理主義の権化みたいなイメージですね。

片岡◆そうそう。

━━でも、毎日、ゴム長靴じゃ、足がムレちゃって水虫になるかもしれない。

片岡◆ウワッ、ハハハハッ。そこまでは考えなかった。まあ、そんなようなイメージでね。

━━あと、ダンディだったら、あの細長い顔にサングラスは外せない、と!?

片岡◆彼はもう狙われてますからね、つねにサングラスは掛けっぱなし。で、殺し屋ですから黒づくめで、ダンディという名前だから、どこか粋なところがなきゃいけないんだろうということで胸に赤い花を付けてる。

━━いまのお話というのは、当時を振り返って整理して跡づけたという部分が強いんですか、それとも実際に人形をデザインする段階でそんなふうに順序立てて考えられていくわけですか?

片岡◆そんなに順序立てては考えてませんけれども、博士の目とか長靴とかはつくる前から意識してましたね。メガネが肉体化してるのはいいなぁ、とかってことは考えてました。

━━メガネの肉体化という概念が先にあって、それを具体的にどう形にするかということで絵を描きだす?

片岡◆博士を最初にイメージしたときに、もうメガネは描いてますね。それで、あとから、アッ、メガネは肉体化させちゃうおう、目はメガネの上につけちゃおう、と。それが動けばいいけど、はたしてそんなこと出来るかなとは思いつつ、ガンとしてメガネの上で目が動くようにするために、カラクリにはずいぶん苦労しましたね。

━━結局、博士の目はどうやって動かしたんですか?

片岡◆メガネの裏側から磁石で動かすことにしたんですよ。ブリキで丸い目の玉をつくって、ぜったい動くという自信を持ってね。磁石は離れると力がなくなっちゃうから、カラクリもメガネの裏側で自動車のワイパーみたいに吸いつくような感じで動くように考えて、これならOKだと思ってやってみたんですけどね。そうしたら、ブリキが磁化されちゃうから目の玉がメガネの上でピョコンと立っちゃうんですよ(笑)。

━━同じ極どうしになって反発しちゃう?

片岡◆そうそう。ここまでは考えてなかったな、オレは! って(笑)。それでもね、なだめすかしてなんとかやっちゃったんですね。で、最近になって復刻版シリーズをつくるときにハッと気がついて、そうだ目の玉も磁石にすれば、もともと極がちゃんとあるんだから、ピタッと吸いつくな、と。ただ、落っこちるのは嫌だから、小さくても強力な磁石を使ったんですよ。そうしたら、今度はメガネをバチッと挟んじゃって動かないの。こりゃあ、あんまり強力な磁石も考えもんだって。ワッ、ハッハッハッ。

 

片岡美術の多様性の秘密

━━カラクリのある人形の場合は、浮かんだイメージを具体化していく段階で、技術的な裏付けもつくっていかないといけないわけですね。片岡さんにとっては、それも楽しい作業なんですか?

片岡◆ええ、楽しいですよ。とくに僕は、なんのやり方っていうのがあんまり好きじゃない人なんですよ。いわゆるハウツーっていうヤツね。だから、自分のなかにも持たないんですよ。口を動かすなんてときでも、「今回は、○×と同じあのやり方でやろう」って具合にピッピッピッと頭が働かないんですね。前のを忘れちゃってる。だから、ずいぶんいろんなことやってきたけれども、ほとんど忘れてるという(笑)。

━━でも、まあ、ひとつからくりをつくれば、それがノウハウとして残るわけですよね。それをメモしておけば、目を動かすときには、こんなパターンとこんなパターンっていくつかのパターンがあって、口のからくりについてはこの5通りだとかって、そのなかからどれを選ぶか、あるいはいままでのじゃダメだから新しいカラクリを考えようとかって、それが技術の蓄積というか近代合理主義ってものじゃないですか?

片岡◆僕はそういうメモをぜんぜん残してないんですよ。ハウツーできちっとメモを取ってれば、マイナスをやる必要はないですよね。だけど、僕の場合はそれがないから、前回よりも落っこちて、マイナスからまた出発したりして……。そんなのしょっちゅうなんだな。

━━田中秀郎さん(特殊造形バンブー設立後、85年ひとみ座に加入)の書かれた『人形劇夢工場』を読むと、ひとみ座での人形のつくり方をすごくシステマチックに解説してらっしゃるから、てっきり片岡さんも……。

片岡◆いや、アレは田中さんがシステマチックな人なんですよ。だから、ちょうどいいコンビなの。

━━なるほど。意外とそのあたりが片岡さんの変幻自在なスタイルの秘密なのかもしれませんね。片岡さんの人形は芝居によってずいぶん違いますよね。「ほんとに同じ人がデザインしたの?」と疑いたくなるぐらい受ける印象が違ったりする。たとえば、ひょっこりひょうたん島の人形みたいにすごくデフォルメされたものもあれば、ひとみ座でシェイクスピアの『夏の夜の夢』を舞台化したときの人形みたいにものすごくリアルなものもつくられる。片岡さんのなかでは、リアルなものとデフォルメされたものは、どうつながっているんですか?

片岡◆僕自身は、ひとつの線でつながってるつもりなんですね。すごくデフォルメしたものもリアルをもとにデフォルメしてるつもりなんです。

━━デフォルメした顔をつくるときも、最初にリアルな顔を描いて、そこからデフォルメしていくということですか?

片岡◆いや、それはしませんけど、後から線をつなげてリアルな顔にしていくことはできますよね。たとえば、トラヒゲの顔があるでしょう。アレをもとにもうちょっとリアルなトラヒゲ、さらにもう少しリアルなトラヒゲ、ほとんどリアルな人間に近いトラヒゲという具合に逆上って絵を描くことはできます。

━━ようはデフォルメされたものは、リアルなフォルムのエッセンスだけを抽出したものだと?

片岡◆そうですね。リアルなフォルムを単純化してるつもりなんです。

━━そうすると、芝居によってリアルなスタイルの人形でいくか、デフォルメしたスタイルの人形でいくかは、どんなところで決めるんですか?

片岡◆それはね、脚本をチラッチラッと見て、コレにしようというか、まあ、そういうイメージが自然に浮かぶというか(笑)。ただね、僕は、スタイルと個性を混同しちゃマズイと思うんですよ。芝居はいろんな芝居をやりたくなるでしょう。だから、いつも同じスタイルじゃなくて、どんなスタイルの人形だって出来ないとね。そのなかで、「アッ、こんなことやっても片岡らしい。あんなことやっても片岡らしい。単純な人形をつくっても片岡らしい」というのがあればめっけもんなんですね。「片岡はいろんなことやってるつもりらしいけど、オレがみればピンと分かるんだよ」という人に僕は何人かあったことがあるんですよ。それは嬉しいことなんで、それがどういうとこなのかを論理的に聞きたいと思うんだけど、あまり論理的には言われないんですね。

━━僕には、片岡さんの人形すべてに共通する線というのが、まだよく見えないんですが……。

片岡◆そこまでちゃんと見てくれてる人が、なかなかいないんですね(笑)。だいたい、僕自身、そこは分からないんですよ。だから、分かるという人にもっと聞いてみたい気がするんだけど……。(以下、下の巻に続く)
(text by 深沢 拓朗)

※片岡昌氏は、2013年7月28日に永眠されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。