「人間らしさ」の呪縛

― 糸あやつり人形劇についての一考察 ―

※以下の文章は、インターネット上の掲示版「マリオネットの広場」に、2005年の3月に投稿したものです。「マリオネットの広場」は、マリオネットについてアレコレ自由に語り合いましょうという趣旨のもと、ヒダマリオネットを主催するヒダオサムさんが2005年1月から2014年2月まで公開されていました。残念ながら、現在では読むことができませんので、店主の深沢が最初に投稿した長文の書き込みをひとつだけ転載させていただきます。

 

はじめてお邪魔いたします。パペットハウスの深沢です。

この間、「マリオネットの広場」での、ヒダオサムさんと田中秀郎さんを中心とするやり取りを、たいへん興味深く、読ませていただいておりました。マリオネットや人形劇について、僕なりに考えてきたことと重なるところもありまして、発言させていただきたいと思います。

まずは、恐縮ですが、「中国泉州木偶劇団」とタイトルの付いた2/10付のヒダさんの発言まで、ちょっと戻らせてください。ここで、ヒダさんは、『ドールフォーラムジャパン』(DFJ)の43号(04年12月発行)に玉木暢子さん(たまちゃん)が書いた、泉州の糸操り劇団の東京公演の劇評を批判するかたちで、「人形に人間のまねをさせているだけでは、どんなに習熟しても雜技の域をでない」と書いています。

ヒダさんの文章だけでは、玉木さんの元の劇評がいったいどんな内容だったのか、どうにも伝わりにくいと思いますので、少しだけ補足説明をさせてください。玉木さんは、まず、「芸には感動芸と感心芸のニ種類がある」という友人の家族の言葉を引き合いに出して、劇評を書き始めています。それぞれ、「心情で感動させる芸と、技で感心させる芸」だと簡単に要約したあと、泉州の糸操り劇団の舞台の様子を紹介して、最後に、また、出発点に戻ってきます。

玉木さんの文章をちょっと引用させてください。

「冒頭に書いた感動芸・感心芸という言い回しだが、この言い方には、感心芸ではだめだというニュアンスが含まれていた。技があっても心がなくては不十分という意味だった。(中略)私は泉州の糸あやつりは素晴らしい感心芸だと思う。私としては最高の賛辞である。高度な技と迷いのない演技で、頭の中のもやもやが見事に吹き飛ばされて、爽快だった。人形劇の可能性と豊かさを再認識させられた。」(DFJ Vol.43 P.83)

関心のある方は、ぜひ玉木さんの元の劇評を読んでいただければと思います。ヒダさんは、玉木さんが泉州の糸操りをこう評価したことに対して、「人形に人間のまねをさせているだけでは、どんなに習熟しても雜技の域をでない」と批判されたわけです。もっとも、その後、NHKのBS2で放映された泉州市木偶劇団の公演録画をご覧になって、「あらためてみると、たしかに操作技術はたいしたものです。『降参』はしませんが『いちもく』はおかなければ、とはおもいました。」(2/13付、ヒダさんの発言「泉州木偶劇団」)と少し訂正をされています。念のため。

 

話が長くなってしまって、申し訳ありません。僕が書きたいのは、ここから先の話です。玉木さんの「感心」芸と「感動」芸という区分け、そして、ヒダさんの「人形に人間のまねをさせているだけでは」ダメだという発言から、僕が思い起こしたのは、ヨーロッパの人形劇の歴史について言われている、19世紀までのマリオネット芝居と20世紀の現代の人形劇を区分する、ひとつの基準です。それは、ひと言で乱暴に言えば、1800年代までのマリオネット芝居は「ミニチュアサイズの人間の芝居」、それに対して、20世紀の現代の人形劇は「人形やモノが動くこと自体の面白さを追及するもの」であるという考え方です。

もう少し言葉を補うと、1800年代までのマリオネット芝居は、どれだけ人間の役者の芝居に近づけるかが大きなテーマだったようです。たとえば、ある人間の役者の芝居がヒットすると、その芝居をそっくりマリオネットの芝居に置き換えて、リアルな人間らしいプロポーションのマリオネットを使って、セリフはもちろん、衣装も決めのポーズも同じように上演する。あるいは、そもそも人間の芝居とマリオネットの芝居を現代のようにハッキリと区別する意識はなく、人間の役者の劇団がマリオネットも持って巡業し、会場の大きさや観客の好みに合わせて、同じ演目を、あるときは人間が演じ、あるときはマリオネットで演じるということも、ごく普通にあったようです。

日本にも何度か来日したことのあるオーストリアのザルツブルク・マリオネット劇場などは、いまでこそマリオネットでオペラを演じる珍しい劇団ということになるのでしょうが、ヨーロッパの人形劇の歴史で言えば、かつてはごく当たり前のスタイルだったと言うことでしょうか。

そうした人間の真似をした素朴なマリオネット芝居、まさにミニチュアサイズの人間の芝居は、やがて技術的な進歩や観客の要望などもあって、マリオネットの造形面はもちろん、動きについても人間らしい繊細で複雑なしぐさ、ひと言でいえばリアリズムの世界をどんどん追求するようになっていきます。これが、「感心」芸の行き着く先でしょうか。

しかし、リアリズムを突き詰めれば詰めるほど、人間の芝居に近づいていくわけですから、そんなに人間らしい芝居をさせたいなら、人間の役者が演じればいいじゃないか! そろそろ人形に人間の真似をさせるのは辞めて、人形やモノでしか表現できないことをやってみよう! そういう考え方が出てくるのは、分りやすい道理だと思います。

そうした発想の転換の先駆けとなったのが、1900年代のはじめ、パリのカフェなどに集って、当時、文学やアートの世界でも隆盛だったリアリズムからいかに逃れるかを模索していたフランスのモダニズムのアーティストたちだったと言います。人形やモノが主役なら、リアルな人間の役者に縛られず、自由な発想でアーティスティックな面白い芝居がつくれそうだと思ったのでしょう。ここから、20世紀の、いわゆる「現代の人形劇」がはじまるという訳です。

少し先走りしてしまうと、せっかくリアリズムから逃れたはずの現代の人形劇は、1917年のロシア革命とその後の社会主義圏の拡大とともに急速に広まる社会主義リアリズムの波に押されて、とくに社会主義圏とその影響力の強かった地域を中心に、ふたたびリアリズムを基調とする人形劇に戻っていってしまいます。ヨーロッパの人形劇が、このリアリズムの呪縛からふたたび解き放たれるのは、ソ連で最初のスターリン批判が行われた1956年以降、まさに社会主義政権がじょじょに力を失うようになってからだといいます。60年代に入って、東欧で、いわゆるオブジェクトシアターが出現してくるのには、こうした時代背景も関係しているようです。

長々と書きましたが、これまでの記述は、人形劇の世界では著名なポーランド人の学者で、ウニマ(国際人形劇連盟)の会長も務めた、ヘンリク・ユルコフスキー氏が書いた、『ヨーロッパの人形劇の歴史』(A HISTORY OF EUROPEAN PUPPETRY by HENRYK JURKOWSKI, 1996年)という2巻本の大著の関連する部分を、ものすごく図式的に骨格だけ抜き出したものです。何年も前に読んだので、記憶も曖昧ですし、僕なりの視点で都合のいいように解釈してしまっているかと思います。関心のある方は、ぜひ原点を読んでみてください。とても面白い本でした。

 

さて、話はまだ続きます。スミマセン。どうも電子掲示板で発言するのが苦手で、今回がはじめてなものですから、なんだか要領をつかめず、長い話になってしまいそうです。ご関心のある方だけ、お付き合いいただければ幸いです。

 

さきほど、1800年代までのマリオネット芝居は、「ミニチュアサイズの人間の芝居だった」と書きましたが、では、マリオネット以外の人形芝居はどうだったのか? イギリスを代表する手使いの芝居であるパンチ&ジュディなどは、マリオネット芝居に比べて、はるかに「人間らしさ」からは自由だったのではないでしょうか。パンチ芝居も、イタリアのプルチネッラが海を渡ってイギリスにたどり着いた当初はマリオネット芝居だったという話がありますが、1800年頃に、現在の片手使いのスタイルとスラップスティックで相手役を次々と叩きのめすお決まりのストーリーに落ち着いてからは、少なくとも、人間らしい動きとは無縁だったと思います。

それは、なぜなのか? 僕は、しごく簡単な理由だったのだと思います。片手使いの人形は、マリオネットと違って、人間らしいプロポーションを作りにくいからです。なにしろ自分の手を人形の体のなかに入れて使うわけですから、人形を楽に動かすためには、体をただの布筒程度にするしかなく、マリオネットのように、人間らしいプロポーションを作りこむことは、そもそも不可能です。プロポーションが人間らしくなければ、観客の側も、人間らしい動きなど要求したりしません。リアリズムから離れようとした1900年代初頭のパリのアーティストやオブジェクトシアターの先駆者たちが、マリオネットを使わなかったのも、おそらくは同じ理由からだと思います。

それに比べて、マリオネットには、どこまでも人間らしさが呪縛のように付いて回る気がします。とくにヨーロッパではそうです。ヒダさんがお書きになっているように、マリオネットのコントロールは十字架の象徴だという話もそうですし、使い手とマリオネットの関係は、神と人間のアナロジーとして語られてきました。民衆のしたたかな代弁者だったパンチやギニョールといったキャラクターが手使いの人形だったのに対して、教会でマリア様やイエス様を演じた?マリオネットは、まさに神様のお遣いとも言うべき神聖な役割を担っていたわけです。「神は自らに似せて人をつくった」とよく言いますが、人間は自分に似せて神様をつくったのだ! と主張したのは、共産主義の教祖マルクスに影響を与えたドイツの哲学者フォイエルバッハだったでしょうか。ヨーロッパのマリオネットは、神=人の象徴であり、神聖にして犯すべからず、ということなのかもしれません。

 

いささか抽象的になり過ぎたようですので、少し具体的な話に戻します。

玉木さんの、「感心」芸と「感動」芸という区分けに戻って、かりに中国の泉州の糸操りを「感心」芸の代表だとすると、マリオネットの「感動」芸の代表は誰でしょう? 戦後のヨーロッパを代表するマリオネティストであるドイツのアルブレヒト・ローゼル(Albrecht Roser)の名前を挙げるのに反対する方はあまりいないかと思います。

「人形を支配するような操作法はわたしはきらいです。へたな方がいいんですよたまちゃん。ローゼルもすこしそういうにおいがあるところはあまり感心しません。」と、ヒダさんが2/10付の発言で引き合いに出しているローゼルです。

ローゼルは、1958年、ウニマのブカレスト大会に、「グスタフとそのアンサンブル」という名前のソロマリオネットパフォーマンスの小品集をひっさげて登場し、一躍その名を世界の人形劇界にとどろかせました。それ以降、現代のマリオネット芝居と言えば、まっさきにその名の挙がるマリオネット界の巨人です。

僕は、1995年、ローゼルのたしか最後の来日公演で「グスタフ・・・」を見ました。手回しオルガンをまわしながら、帰り際に突然振り向いて客席に向かってお布施を要求する片足のない傷痍軍人、青い花と赤い花のどちらを選ぶかで優柔不断に悩みつづけるピエロ、ゴーゴーダンスを踊る若い娘やギターの弾き語りをする髪の長い青年、そして、愛嬌たっぷりにピアノを演奏するグスタフ、・・・などなど。そうした50年台につくられた小品の数々は、否応なくその時代の匂いを感じさせるものではありましたが、まさに現代の古典とも言うべき「感動」芸であったように記憶しています。

では、ローゼルのマリオネットパフォーマンスと泉州の糸操り芝居は、なにが違うのでしょう? 偉そうに書いてきましたが、正直に言うと、僕には、この答えが明確になりません。玉木さんは、どう考えられているのでしょう? ヒダさんは、どうでしょう? このマリオネットの広場をお読みになっている方のなかには、泉州もローゼルもご覧になっている方が多いかと思います。どうか皆さんの考えをお聞かせください。

僕が、いま言えるのは、これまで書いてきた文脈からすれば、ローゼルの「グスタフ・・・」は、リアリズムが中心のマリオネット芝居だったということです。人間の心情をテーマにしたり、その時代の若者の風俗を描いたり、編み物をするおばあさんに時代批評を語らせたり・・・。動きの面白さを見せる小品もあるにはありましたが、やはり中心は人間的なリアリズムを基調にした芝居だったと思います。ローゼルでさえ、マリオネットが持つ、「人間らしさ」の呪縛からは自由になれなかったということなのでしょうか。

もっともローゼルの共著『GUSTAF UND SEIN ENSEMBLE』に掲載されているイラストや写真を見ると、ローゼルも70年代以降、ずいぶんオブジェっぽい作品をつくっているようです。ただし、それらはマリオネットではなさそうですし、ローゼルの代表作として、いまだに50年代につくった「グスタフ・・・」が挙げられること自体が、現代のマリオネット芝居の難しさを象徴しているように思えてなりません。

 

ヨーロッパのマリオネットが「人間らしさ」の呪縛から逃れにくいのであれば、アジアや日本はどうなのでしょう?

ヒダさんは、「コントロールのかたち」という1/28付の発言で、インドのマリオネットに触れ、「いとの数がすくないからといって、稚拙ということはありません。人形はまったくシンプルなものです、そもそも人間とおなじ動きをさせたいという発想がないのだとおもいます。人形には人形の動きをさせればよいという哲学があるのだとおもいます。」と書いています。アジアの人形劇に疎い僕には、とても新鮮な言葉でした。

では、日本の糸あやつり人形は、どうなのか? これも、僕には語れそうにありませんので、早々にパスします。どなたか、お考えをお聞かせください。

 

僕が最後にひとつだけ言いたいのは、このようにヨーロッパのマリオネットの歴史を振り返ってみると、ヒダマリオネットの存在が、とても貴重に思えてくるということです。僕が見たのは、2002年8月のシアタートラム(東京・世田谷)での公演だけですが、第1部の「動物(ウゴクモノ)図鑑」では、モノが動くということの面白さを存分に楽しみ、そして、第2部の「パラダイス3」では、巨大な鉄のカタマリが生まれ、そして動くその迫力の凄まじさに、感動を通り越して圧倒されました。これまでの言葉を使えば、まさに「感動」芸でありながら、「人間らしさ」のリアリズムの呪縛からも自由なマリオネットパフォーマンスだったわけです。しかも、「パラダイス」は、1970年代にほぼ現在に近いかたちで上演されたことがあると聞けば、なおさら驚きが増します。これはやはり、マリオネットの歴史にきちんと刻まれるべき画期的な公演だったのではないでしょうか。このことだけは、どうしても言っておきたいと思います。

 

スミマセン。とんでもなく長い書き込みになってしまいました。最後までお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。僕自身は、玉木暢子さんや田中秀郎さんの書かれる、とても的確で面白い劇評を、いつも楽しみに読ませていただいている者ですが、今回は、ここ何年か考えていたことを書かせていただくのに、ちょうどよい機会だと思ったものですから、一気に吐き出してしまいました。みなさんどうかお許しください。(text by 深沢 拓朗 2005/03/04)