沢 則行 近況報告
2002/9/27
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ぼくがいつもお世話になっている札幌のアート・スペース
「コンカリーニョ」のために書いた文章です。
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うーむ。 この原稿は半年も前からちずさんに頼まれていたモノなのだが、 ぼくは生来の怠け者の上に、言いたいことや感じていることを どう書けばこれを読むであろう(と思われる)日本人にわかって もらえるのか、皆目見当がつかなくて、いっそなかったことにしよう、 そうだ、そうだ頼まれなかったんだ、と逃げまわってきた。 書く、ってむずかしい。 ヨーロッパに住んで10年、プラハに家があって、そこからいつも 自分の芝居をかついで、多くの、本当に多くの国に旅をして演じてきた。 大人数での国際共同制作や、ワークショップもやってきた。 芸術大学で教えていたこともある。あ、これはいわゆる「自慢話」や 「苦労話」ではけっしてないので皆さん、注意するように。 食べて、さらに家族を養うために、何だってやってきたのだ。 ひとつ、神さまに心の底から感謝しているのは、人形と芝居以外の 仕事をする必要がなかった、ということだ。本職だけで喰ってきた。 ヨーロッパだったから、できたのかも知れない。そして、アートの 現場については、ずいぶんたくさんのことを見てきた、と思う。 そこで、だ。 今回はぼくの日常の仕事の様子を書いて、それがコンカリの将来の 役に立つかどうかは、読む人に任せよう、と思う。ひょっとすると、 芝居ボケしたぼくなんかより、これを読んでくれるあなた、の方が ヨーロッパや日本の文化施設の未来、そしてコンカリのような 「正しいにおい」のある小屋の未来について役に立つ、何か小さな ヒントを読み出してくれるのではないか、と期待して、願うからだ。 |
手近なところで、先週までツアーしていた北イタリアの例を上げよう。 10年ほど前、アレッサンドリアという街に何年もうち捨てられた 農家があった。畑地の真ん中、ゆるやかな丘に囲まれ、すこぶる 見晴らしが良い。一番近くの隣家まで約1キロ。でもさえぎるものが 何もないので、トラクターを転がす親父さんの鼻歌が聞こえてくる。 さて、このボロ家に目をつけた地元の大工、オペラの大道具係、 デザイナーたちが集まって数年間、手作業で劇場に改装した。 納屋の2階が舞台。とても小さい。間口が3間(約540cm)、 奥行きも同じぐらい。客席もせいぜい100。天井は納屋の梁を そのまま生かした骨太なバトン。そして階下がカフェバー、 そこからつながった別棟には、スタッフや出演者が宿泊するための 広い部屋が3つ(イタリアのアンティークベッド、窓を開けると緑の丘と 森が見える)。さらに付属の広いキッチンとリビング、バスルーム、 電話と事務所。演者は滞在中、これらの施設を好きな時間帯に 好きなだけ使って打ち合わせたり、仕込んだりしてかまわない。 ゲストがいるとき以外は、彼らはたいてい週末になると集まり、 芝居を作り、飲み、喰い、騒ぐ。そして年に一度フェスティバルを催す。 フェスティバルのチーフはオペラの大道具監督が本業で、 ぼくが演じた夜の打ち上げで、ため息まじりに言った。 「ああ、明日から仕事だ。<トスカ>なんだよ、でっかい芝居でさ、 憂鬱だなあ。NORI(ぼくのことです)が今年のフェスのトリだからさあ、 今日でフェスのための有給も終わりだア」 ぼくは聞いた 「何日ぐらい有給を取ったの?」 「ん?3ヶ月」 「・・・!!」 アレッサンドリア市は現在この納屋劇場とフェスティバルを公的に 資金援助している。ぼくの上演にも市長(いやあ、これが赤い ジャケットを着こなしたイタリア美人なんだな)が来てくれた。 |
次に行ったラコニッジという地方では、ローマから演出家を呼んで、 10間(約18m)四方の大きな屋外舞台を設置、出演者70名を 超える芝居を上演している真っ最中だった。ぼくも二晩、 自分の一人芝居を演じたが、この野外劇場、広大な精神病院の 中庭にある。敷地内には森もあれば畑もある。仕込みの途中、 あまりに暑くて舞台に寝ころんで空を見上げたら、広場が多くの 高い木々に囲まれたいちばん美しい場所にあることが良くわかった。 前述の大きな芝居も、いわゆる健常者(この言葉、変だな)と 入院患者の共演、ぼくの上演にも患者たちが観客として訪れてくれた。 演劇祭の主催は自治体とこの病院、プロデュースは若い医師たちによる。 この病院にはとりわけ長い病歴の(30年とか40年とか、病院に 入ったまんま、という)患者さんが多く、中には病棟から外に出られない 症状の人もいる。しかし、出られない彼らにとっても、なんだか怪しい 芸人たちが病院の敷地内をうろうろし、山のような機材が運び込まれ、 夜になると赤やら青やらの照明が灯って、一般の市民が ぞろぞろ集まってくる、という状況はどうしたって異常だ。 これはつまり彼らの平坦な暮らしの中に外部から大掛かりな 非日常という刺激が注入される、「治療」の効果があるのだそうだ。 病院業務の一環だ、と医師は言っていた。 しかしぼくから見ると、どうも医者や患者たちが祭りや芝居が好きで、 がまんできずに年に一度やってるように見えた、税金を使って。 今後の予定としては、病院の門を週に何日か完全開放して、 患者たちを自由に街に外出させてしまう、という治療を試すそうだ。 あなたは、日々の平坦な暮らしに、刺激的な非日常を注入されて みたくない? |
ここで話は2年ほど前に行ったアムステルダムに飛ぶ。 ZAAL100(という名前だったと思う、ちょっと資料が見つからなくて スンマセン)という劇場は、当初、街中に放置されたビル(以前は 学校だったらしい)に、若いさまざまなジャンルのアーティストたちが 住み着き、バーや劇場、ライブハウスとして勝手に活動、 営業をはじめた小屋だ。こういう「勝手に廃屋に住み着きアートや カルチャーを始めてしまう」行為をスクウォット(Squat=しゃがむ、 うずくまる、他人の土地に無断で居つく)と呼ぶ。 もちろんイリーガル、違法なので、とつぜんの警察隊の突入や強制退去、 近隣住民のひんしゅくなど、日常茶飯事。しかしアムスには、 そんなすったもんだを繰り返しながら、何とか10年持ちこたえた カルチャー・スクウォッターたちには、リーガル、合法の活動許可と、 運営資金援助をする、という条例がある。ちゃんと条例集を 調べたわけじゃないので、10年だったか15年だったか、 まちがってたらゴメンナサイ。ただ、こういう趣旨の法律がいろいろな 国で定められているのは確か。なぜなら似たような例は、アムスだけ ではなくヨーロッパ全域にあるからだ。 と言うわけで、ぼくはアーティストたちが10年がんばって彼ら自身の モノとなった、ちゃんと合法化されたZAAL100で一人芝居を演った。 アムスはマリファナも合法なので、上演中、蛍の尻火のように 点滅するあかりをいくつも客席に見止め、いやだなあ、やばいなあ、 と思いながらもとにかく演じ通し、バラシのときになって二次喫煙の 後遺症でぶっ倒れました。プリーズ、ノーモア・ドラッグ。 スクウォットを頭ごなしに禁止しない行政にもちゃんと計算がある。 都市部に不動産を持つ地主たちが、放っておいてもどんどん上がる 土地代を目当てに、建物を放置しておく傾向があるのだ。 わざわざ修繕の手を入れたり、何かの営業をしたり、賃貸したりする 手間ヒマを惜しんでいる、というわけ。 観光資源も重要な収入であるヨーロッパの自治体や行政は、 そんな廃屋を放置させておくよりも、若者たちが「わずかな援助」を もとに地域密着の文化活動を営業としてできるなら、観光客も呼べるし、 だいたい失業対策にもなる。やらすべえ、やらすべえ、というわけで、 地主から自治体が借り上げる、ときには放置した罰金として 丸ごと取り上げて、スクウォッターたちに運営をまかせる。 実際に、このシステムをステップに多くのヨーロッパ小劇場が、 国外からも著名なアーティストを呼べるまでに育っている。 そう、彼らにとっては「わずかな援助」でも、ぼくら芝居屋にとっては 大金なのだ。 |
当初はアーティストたちの手作り、善意、ときにはスクウォッティングで始まり、 若くて粋のいい前衛が生まれる。 訪れる観客が増え、地域の中に定着するうちに行政が資金援助を始める。 さらに質の高い作品や作家が国境を越えて集い、やがてあるウェーブ(波)になる。 彼らは国際フェスティバルを組織し始める。行政がさらに援助する。 アーティストたちは役人ともめ始める。金は出せ、口は出すな。 さて、このあたりが分かれ道だ。 ただ、ヨーロッパの文化人や芸術家はかなりタフにできている。 その小屋がたとえダメになっても、結果としてその土地を離れることになっても、 ものづくりの仕事は、もちろん一生涯続くのだ。 彼らは言う。 「芸術という非日常は、いつも日常のわれわれとともにある」 |
文章の中で触れた時期のものとはちがうのですが、写真はいずれもイタリア−スイスでのワークショップです。 |